【HAPPY BIRTHDAY TORU RUU INOUE】
25年前の1988年。中1の夏休み。一生懸命溜めたお小遣いを使ってフルパットのまま
電車に乗り継いで滋賀県の瀬田まで行って
そこから上り坂の国道を1時間ずっとフルプッシュ。フルパットで。
到着した山の頂上にはアスレチックコース。
そのアスレチックコースの中の険しい獣道を抜けた先には
フルコンクリートのスケートボードパーク。
入場料は払えないから当時の僕らはそうやって獣道経由でコッソリ練習に行ってた。
終始フルパットで。
100%管理人のオッサンに捕まったけど「京都からフルパットで来た」って言ったら
毎回、毎回、何年も「今回だけやぞ」って言って許してくれてた。
ただ、せっかく時間をかけてそのパークに行くものの"ハズレ”の日があった。
メッチャ上手いヤツがいる日は僕らみたいなフルパットのペーペーは
萎縮してしまって到着から日暮れまで三角座りして上手いヤツ見学しか出来ない。
フルパットのまま。
そのハズレの日に絶対ど真ん中に居る男前のヤツが僕は一際嫌いだった。
パークの中で一番大きいバンクを使って
バックサイドグラブからレイトショービット、サルフリップ、ジャパンエアーに
JTエアー....オーリーで空き缶飛んで歓喜してた僕はホンマにそいつの事が嫌いだった。
スケボー上手いうえに男前やからホンマに嫌いやった。
帰りの電車の中で「あいつスカしとるしうっといよな!」って皆で語りあった。
フルパットのまま。
高校1年16歳になってちょっとはスケボーの自信をつけた僕。
京都では珍しかったストリートの大会が六地蔵ってとこで開催されると知って見学に行った。
中1から高校生になる迄一体自分は何をしてたのか...今直ぐ家に帰って布団の中で
泣きたくなる位、出場者のスケーターは上手かった。
で...上位入賞者の表彰式で段上には僕が死ぬ程嫌いな男前のアイツが
トロフィー片手に死ぬ程爽やかな笑顔で手を振ってた。
殺したいアイツはその大会がキッカケでショップスポンサー権をゲット。
全国大会にも出場しプロスケーターのライセンスも取得して
10社では収まらないスポンサー企業様を得てエリート街道をまっしぐら...。
ホンマに嫌いなアイツを一方的に嫌って25年。
アイツが出てスポンサー圏を得た大会を開催したのが
当時はサーフボードをメインで扱ってた当店。
25年間色々あってホンマに嫌いなアイツは人生初のショップスポンサーを得た
お店に僕がサーフショップからスケボー屋さんとして
再スタートした時に帰って来てくれた。
まっだまっだ一方的に嫌い続けたいから滑り続けろ。
毎年言い続けてるけど誕生日まで男前な日ってのがムカつく。
とりあえず38歳オメデトウ。
店長 アラカワ
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